カプセルボーイズのブログ

ガチャガチャ大好きカプセルボーイズがガチャガチャの魅力を紹介していきます。このブログでは実際にガチャガチャを回して結果などを報告していきます。

ガチャガチャと共にある日々 ~小学生編~

 私は京都の僻地にある小さな町で生まれ育った。駅はいつも無人で、田畑が広がる町には当然ながら娯楽が少なかった。

 そんな私がガチャガチャにハマったのは小学2年の時だ。明らかにガンダムの好きな父と兄の影響だ。ガンダムのガチャガチャと言えば「SDガンダムガシャポン戦士」である。この商品は1977年に生まれ、「キン消し」と同様に「ガン消し」などと呼ばれ、多くの人々に親しまれた。

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SDガンダムガシャポン戦士

誕生40周年「ガシャポン」進化の歴史とは?史上最も話題となったアイテムが7月に復活!! | 電撃ホビーウェブより)


 ちなみに「ガシャポン」とは販売元であるバンダイの商標登録であり、「ガチャガチャ」、「ガチャポン」もバンダイである。また「ガチャ」はタカラトミーアーツの商標登録で、こうした経緯から呼び名が分かれることになる。総称としては「カプセルトイ」で、海外では基本的にそう呼ばれる。私が「ガチャ」や「ガチャガチャ」と呼ぶのに深い意味はない。昔からそう呼んでいたからだ。

 

 と、余談はここまでにして私はガンダムを通じてガチャガチャを知った。だが私は消しゴム型の「ガシャポン戦士」の世代ではない。私が熱中したのはその後に発売された「フルカラー」のシリーズである。値段は変わらず100円だが彩色が施され、観賞用のフィギュアとしての側面を強めている。

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SDガンダム(フルカラーシリーズ)

 私が初めてこのガンダムのガチャガチャを見たのは父の部屋であった。テレビ台の上に飾られた鮮やかな機体たちは私を魅了した。父の部屋自体はあまり覚えていないが、何故かガチャガチャの配置だけは鮮明に覚えているのが不思議である。
 一番初めに目に留まったのはこの「ビグ・ザム」だ。

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ビグ・ザム

 父の部屋にはこれが二体あり、当然私と兄はそのうちの一体を取り合った。その喧嘩の激しさを見かねた父は一体ずつ私たちに与えた。嬉しさもあったが父に対する申し訳なさがあったのか、私は「ビグ・ザム」を机の引き出しに隠してしまい、堂々と飾ることができなかった。私は子供ながらにチキンライスを頼んでしまうような子だったのだ。

 他にも多くの機体がテレビ台の上には飾られていた。「ヤクト・ドーガ」のギュネイ専用機とクェス専用機が左右対称綺麗に並べられていたのも覚えている。私はカラフルなこの機体が好きだった。

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ヤクト・ドーガ(ギュネイ専用機)

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ヤクト・ドーガ(クェス専用機)


 黄色と黒が男らしく、赤と白が女らしい、と幼い私は思っていたのだろうか。実際にギュネイが男でクェスが女なのだが、名前や顔を知らないころから勝手にこれは男女のペアの機体だと確信していた。

 他にも「リ・ガズィ」や「α・アジール」、「ジム寒冷地仕様」、「マラサイ」、「アッシマー」、「シャア専用ズゴック」などが綺麗に並んでいた。今思えば、父は『逆襲のシャア』が好きだったに違いない。ともかく私は父の部屋を彩る小さな世界に魅了され、ことあるごとにそれを並べ直したり、戦わせてみたりしたのである。

 ある日、私は「僕もガチャガチャを回したい」と言ってみた。

 私の住む田舎には、ガチャガチャは無かったが、父は車を回して遠くの家電量販店に連れて行ってくれた。そこには色とりどりのガチャガチャが並んでおり、私は目を輝かせた。あの時、ガチャを回した確かな感覚と、転がり落ちてきたカプセルの音を、今も覚えている。当たったのは「ガンダム試作2号機」であった。

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ガンダム試作2号機

 

 当時の私はガンダムに詳しくなかったので、欲しい機体があったわけではなく、ただただ自分が当てたのだという喜びでのみ、この機体を理解していた。私は帰りの車の中で、直ぐに「ガンダム試作2号機」を組み立てた。大きなシールドがどうしても上手く付かなかった。試行錯誤する私を見て、父は笑っていた。私は家に帰って、それを勉強机の上に飾った。小さなガチャガチャは、幼い子供にとって初めてのインテリアとなった。もちろんこの機体は今も大好きだ。

 

 それ以来私と兄は、いたるところでガチャガチャを回した。100円なら母も渋々了承してくれる。

 特に私たちがよく回したのは、大阪にいる祖母の最寄り駅にあったガチャガチャだ。祖母とは往々にして孫には甘いもので、私たちが家に遊びに行く度に、必ず300円をくれたのだ。私たち兄弟はこの300円でガチャガチャを回した。ガチャガチャがしたいがために、祖母の家に連れて行って欲しいと、母によくねだったものだ。

 兄弟は仲良く並んで3回ずつガチャガチャを回した。同じものが被ってしまった時は、兄と交換した。欲しかったものを兄が手に入れた時は、涙ぐんで悔しんだ。当時の私たちは3回のガチャガチャに心の底から一喜一憂していたのだ。ガンダムのアニメを見たことがないにも関わらず、私はどんどんガンダムの機体にだけ詳しくなった。

 増えていくガンダムのガチャガチャで、私たち兄弟は遊んだ。各々のコレクションを派閥に分けて戦わせる「ごっこ遊び」である。

 兄は「連邦軍」いわゆる善玉で、私は「ジオン軍」いわゆる悪玉だった。私はいつも悪者であったが、全く不満はなかった。負けるだけの「ごっこ遊び」が、やけに楽しかった。引き立て役の美学を感じていたのか、いかにやられるかを考え、劇的に負けるということを純粋に楽しんでいた。

 そんな私は「ウルトラマン」でも、やはり怪獣を愛した。特に「ベムラー」と「エレキング」が好きだ。

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ベムラー

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エレキング

 デジモンも「ディアボロモン」が一番好きで、「マリオ」より「クッパ」、「アンパンマン」より「バイキンマン」を応援してしまう。

 もちろん今でも「ザク」や「グフ」などの悪玉の機体が大好きだ。思えば父の部屋で「ガンダム」より「ビグ・ザム」や「ヤクト・ドーガ」に惹かれた私は悪者を愛する素質があったのかもしれない。

 こうして考えてみると、私のアニメやキャラクター、あるいはフィギュアに関する楽しみ方は、ガチャガチャを通じてつくられたといっても過言ではないだろう。

 

 もちろんガンダムは好きだが、当時の私は明らかにガチャガチャという行為と、それが生み出す小さな世界を愛していた。100円を入れて取っ手を握る、手に伝わる特有の重み、ガチャリという音、滑り出てくるカラフルなカプセル、そしてドキドキしながら中を確認するという一連の動きが、全てが刺激的であった。実際は何が当たっても嬉しいのだが、予め狙いを定めておくと尚楽しめる。私はガチャガチャという賭けの虜だった。

 

 しかし、人は良くも悪くも成長してしまう。計算し、確率を考え、我慢や延期を覚えるのだ。兄が高校生になり、私が中学生になった時に私たちは、ほとんど同時にガチャガチャをやめた。もらったお金はジュースを買ったり、ゲームを買うために貯金したりした。
 そんな成長した私が再びガチャガチャに出会うのは大学4年の夏である。