カプセルボーイズのブログ

ガチャガチャ大好きカプセルボーイズがガチャガチャの魅力を紹介していきます。このブログでは実際にガチャガチャを回して結果などを報告していきます。

ガチャガチャと共にある日々 ~大学生編~

 大学4年生、学生最後の夏休み。その頃の私は卒業と就職を目の前にし、漠然とした喪失感に苛まれ、何をしていても「これから」のことが頭にちらついて「今」を楽しむことができなかった。好きだったゲームも途中で白けてしまい、お気に入りの小説や映画ですら没頭することができなかった。これが大人になることなのかと、私は寂しくも惰性的に生きていた。

 そんなある日の飲み会の帰り道、ふらふらと独り歩いていた私は、家電量販店の前に置かれたガチャガチャを見つけた。少し酔っていたということもあり、私は立ち止まってそれらをじっと眺めた。懐かしさを感じさせるものもありながら、昔はなかった面白い発想のガチャガチャもたくさんあった。突発的に回したいと私は思ったが、酔いの中に残った理性が生み出した「恥」がそれを邪魔した。この恥ずかしさこそが、私の「今」を楽しむことができない現状を形成していたのかもしれない。突発的な欲望は抑制するべきものであり、大人はガチャガチャのような不確実な遊戯には惑わされない。こうした捻くれた考えが、年を重ねるにつれて私の中で少しずつ沈殿していたのだ。

 私は周囲を気にしながら、そそくさと財布の中の小銭を確認した。ちょうど欲しいガチャガチャ一回分の200円があった。私は何かを捨て去るように200円を入れた。ハンドルを回すとガチャリ、と音がなり、懐かしいあの感覚がよみがえった。その瞬間、私はガチャガチャという「今」を確かに楽しんでいた。おそらく私は笑っていただろう。始終私を押さえつけていた、「これから」のために生きるという、義務感と倦怠感は消えてなくなり、したいことを今ここでするという開放感だけがそこにあったのだ。

 子供は大人になり次第に不確実性を嫌うようになる。経験から法則を見出すように、不確実な「今」を生きるのではなく、確実な「これから」のために「今」を消費するようになるのだ。それは有益で効率的だが、それゆえに移ろいやすい「今」という瞬間を蔑ろにしてしまう。このバランスは大事だ。好きな事だけをして、欲望のままに「今」だけを生きていくことはできない。しかし、未来や効率だけを考えると「今」は将来のためのものとして、その充足を永遠に延期されてしまう。

 だからこそ人々はガチャガチャという遊び心を発明したのだと思う。何気ない日常の中に存在する「今」を楽しむことができる小さな賭け。大人はそこでひと時だけ子供に戻り、小さな玩具を携え、また大人に戻るっていくのである。何が当たるかは誰にも分からない。私たちはその期待や不安を、不確実な「今」として楽しむことができるのだ。

 大学4年生の私には「今」を楽しむ子供の精神が欠けていたようだ。何が起こるか分からない未来に怯え、何をしても無意味だと感じていたのかもしれない。ガチャガチャはそんな私の殻を破ってくれた。当たったのは「シャクレルカバ」だった。

f:id:capsuleboys:20190708234616j:plain

 「シャクレルカバ」がいてもいなくても、生活が変わることはないかもしれない。しかし、それは確かにあの日、あの時に、ガチャガチャを回して手に入れたのだ。それだけはたとえ未来がどうなっていようと変わらないことだ。

 今も私の部屋には「シャクレルカバ」がいる。まだこいつは相変わらず馬鹿馬鹿しく「シャクレ」ている。私は何かに行き詰ったら、これを見るようにしている。私は大人になってもガチャガチャを回せるほど、遊び心や余裕がある人間なのだ、と不思議な自信が湧いてくるからだ。

 それから私は、好きな時に好きなだけガチャガチャを回すようにしている。そこまでお金がかかる訳でもないし、もともと収集癖がある私には、よい趣味になった。回している瞬間もさることながら、増えていく小さなコレクションたちを見るのも今は楽しい。大人になってガチャガチャを回すことをやめてしまった人は多いだろう。だがそんな人たちも、どこかで自分が子供に戻れる瞬間があるはずだ。そうでなければ世界は窮屈すぎる。あなたの中の遊び心というガチャガチャも、今や遅しと中から飛び出すことを待っている。

 

 私たちはこれからもガチャガチャと共に生きていくのだろう。